一昨日ブログにアップした
「ほしいも=与えるべきもの」について
ぼんやりとではありますが、見えてきた気がするので
自分向けのメモということで、ちょっと独り言をさせてください。
傷ついたと感じるときって、自分が求めないものを無理やりに与えられた時。
思う通りにコトを運びたいと必死でコントロールしているときは、うまくいかないとがっかり。
こうでなくちゃいけないとがんじがらめになっているときも、相手に「こうあるべき」を求めてる。
こうやってみると、うまくいかないと感じている多くは
自分の求めたものが得られなかったということがほとんど。
そして、それは「誰かが望むものを運んで来てくれる。」という気持ちが
自分の根っこにあるからなんでしょうね。
そして問題なのは、
仮に「望むものを与えられた。」としても満足することができないっていう点。
せっかく手にしても満足できないのは、すぐに次のものを望むから。
まるで何かを試すかのように、
「今の時点はOK。じゃあ、次はこれをしてもらおうかな。」と
次から次に求めて、得られないと「がっかり」したり、「傷ついた」りする。
ここで「自分が望むものは相手に与えるものなんだ」と視点を変えて
実際に相手に与えてみると、はじめてそこで癒され、満たされる。
もしかすると与えることで「実は自分がすでに手にしていた」ということに気がつくのかもしれません。
ちなみに、ここでいう望むものって、
具体的な「物」とかじゃなくて
なんというか求めるものの「本質」的な部分のこと。
例えば「お金がほしい」って思ったからと言って
「誰かに無尽蔵にお金をあげる」ことはできませんよね。
でも、お金を「自由に選択するエネルギー」と捉えてみると
本当にほしいのはお金そのものではなくて「自由に選択するエネルギー」だって見えてくる。
そして、それをほしいと感じているのは
周りの人にそのエネルギーを与えてみることで、渇望感から解放されるってことなんだろうな。
セラピールーム 木もれ日 セラピスト AIKO